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調子にノッて”秀吉”をも語る(笑)

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年の瀬ですねぇ、寒いですねぇ、雨でしたねぇ・・

この前は、忘年会をクルマで行ったのでお酒を飲めなかった筆者は、昨晩はまたまたとある忘年会にお呼ばれしまして、今度は、会場まで送ってもらったので、死ぬ程飲まされまして(笑)案の定、死にまして、更新がこの時間になってしまいましたよ...
でも、まぁ一年に一度くらいこういう日があっても良いのかなって???

という事で昨日メッセージもらった方々のご返信が遅れてすみませんでした

最近AKB記事書いてませんね?、、、だって面白い事無いんだもの・・
先日SKE48の「エビカルチョ」も年内最後だから楽しみにしてたのに、クソつまらなかったし(笑)「こりゃヤバくね?」って思ってたら、年明け一発目で最終回らしい、、、そりゃそうでしょ?スタッフはもっと頑張らないと・・・

って「お前もな?」って云われそうですけど・・・

さて、なので、今日は「軍師官兵衛」記事から続いている「歴史」ネタで攻めてみたいと・・・
と、いうか、、、
昨日の信長さん、家康さんについては少し書いたものの、秀吉さんについて書いてなかったので、やはり3人は筆者の中でも「ワンセット」なので・・・
イメージ 1

豐臣秀吉(とよとみひでよし)/ 羽柴秀吉(はしばひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・天下人・関白・太閤。三英傑の一人。
はじめ木下氏を名字とし、羽柴氏に改める。本姓としては、はじめ平氏を自称するが、近衛家の猶子となり藤原氏に改姓した後、豊臣氏に改めた。
尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれたとされる。当初今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を現した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、信忠の遺児三法師を擁して織田家内部で勢力争いに勝ち、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き、関白・太政大臣に就任し、豊臣姓を賜り、日本全国の大名を臣従させて天下統一を果たし、太閤検地や刀狩、惣無事令などの政策で国内の統合を進めた。理由は諸説あるが、明の征服を決意して朝鮮に出兵した文禄・慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康ら五大老に託して病没した。
秀吉の死で徳川家康が台頭し、関ヶ原の戦いの結果、豊臣家は事実上諸大名に転落。豊臣家と徳川家の対立は深まり、1614年から1615年の大坂の陣で豊臣家は滅亡に追い込まれた。
秀吉は、墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城など機知に富んだ功名立志伝が伝わり、百姓から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。

この秀吉さんっていう人物の出生には諸説ありまして、まぁ一般的には百姓上がりで織田信長に仕えて、その後その意思を継いで、、的な教科書通りの出世というか、大方の「秀吉像」ですよね?

ただ、前項でも書きましたが、類い稀なる「人たらし」の素質といい、加藤清正の様な無頼派から、石田三成のようなそろばん計算派、はたまた千利休のような茶道家まで巧みに使い分ける人間操作法は、やはり若い頃の経験によるものだと思われます。もちろん主君である織田信長の影響も強いとは思いますけど、たぶん人望的には、先まで挙げた3人の中ではもっとも優れていたと思われます。堺の商人説や、はたまた町人のスパイなんかもやっていたという説もあります。

加えて秀吉は天下人になってから、武家の棟梁である「征夷大将軍」にはなっておらず、「関白」という位に付く(かなり皇族寄り)という異例な事を行ってます。つまり元よりあまり、武家にこだわりは持っていなかったんじゃないかって?、、てか、”戦さ”そのものが嫌いで、戦の無い世の中を作りたかったんじゃないかって思うんですよね?
イメージ 2
秀吉さんギター持ってます(笑)
以前記事にした「軍師官兵衛」での秀吉役、竹中直人さんが竹中半兵衛役の谷原章介さんに何か聞きたいことがあるそうで、、、この人、マジめにこういう事するから好きです。

皆さんあんまり詳しく知らないと思うんですけど、「関白」っていうのは、天皇の代わりに政治を行う職であって、律令に本来規定された官ではない令外官であり、実質的に公家の最高位なんですね敬称は殿下。だから秀吉さんも晩年は「殿下」って呼ばれていたんです。
天皇が幼少または病弱などのために大権を全面的に代行する「摂政」とは異なって、関白の場合は最終的な決裁者はあくまでも天皇になりますから、天皇より上に行きたがった、信長、天皇家を支配下に置いた家康とも異なりますね?
摂家っていうのは、鎌倉時代に成立した藤原氏嫡流で公家の家格の頂点に立った5家(近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家)が代々なっていらしいです。
もちろん秀吉が関白になれたのは、天下人になった権威と財力があったからなのですけどね・・

上記画像の竹中さん、大河ドラマでは2回、秀吉役を勤めていますけど、主役の「秀吉」の時はそれこそサクセスストーリーが主で、今回の「官兵衛」の時は、「落ちてゆく秀吉」を演じているので、その差が面白かったですね、、、
では、前者の「秀吉」の時のCGを駆使したオープニング動画を、、そしてこのドラマの音楽を担当なされた小六禮次郎さん作曲、NHK交響楽団演奏の壮大なテーマ曲をお聞き下さい。このテーマ曲も大好きです!
大河ドラマ 「秀吉」は、1996年1月7日から12月22日にかけて放送された第35作目のNHK大河ドラマ。原作:堺屋太一、脚本:竹山洋、主演:竹中直人。全49話。
主演(豊臣秀吉): 竹中直人。豊臣秀吉を現代的な視点から描き、弟・豊臣秀長にも光を当てた作品。1990年代の大河では唯一平均視聴率が30%を突破した。

今見ても、信長役に渡哲也さん(上の動画ラストに強烈な本能寺での自決シーン有り)など、豪華なキャスト陣ですもね?このドラマ、、、
そんな中、異色の配役が、コレ結構当たりました、、、信長に結局追放されてしまう、室町幕府最後の将軍、足利義昭役の玉置浩二さん(安全地帯)です。
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この鬼気迫る演技が非常に好評でした、、、やはり音楽を作る人ってのは感性が豊かですからねぇ?役者としても良いものを持ってます、この方。でも撮影では大御所、渡さんとのカラミで、マジでビビってたらしいですけど(笑)これが現実の
義昭と信長の関係のようでリアリティがあったんだそうです(爆)

秀頼誕生後は、ちょっと常軌を外れた行動(千利休切腹申し付け、秀次ら一族殺戮、挑戦出兵・等)が目立ちましたが、その相手にも多少なりとも「非」があったような気がします。筆者はそれほど老いによる「キチガイ」じみた行動とは思えないのですが、、、

最終的には幼い秀頼を残し、不安と失意の中で没した秀吉ですけど、威光は死しても家康を圧倒し、大阪での人気は、家康が将軍になってからもいささかも衰える事なく、彼を悩ませていたんでしょう、、、なので現在まで秀吉の「武勇伝」が語り継がれ、その人気を利用して家康は着々と幕府の土台を固めていったんですね
もう少し、淀君(秀頼の母)=茶々(織田信長の妹、お市の方の遺児三姉妹の長女)が、賢ければ、豊臣家を潰さずに小さくとも1大名として生き残れたと思うんですが、、、
そこが、「軍師官兵衛」の主役、黒田家との大きな違いだったんじゃないでしょうか?残念です。

秀吉遺児の秀頼は、身長が190cm近い大男でその威圧感もたっぷりだったそうですよ?しかも聡明で?謙虚な人柄だったそうだと伝わってます。秀吉自身の子ではなかったと思われます。筆者は側近の大野治長と淀殿の子だと。治長もやはり長身だったので、、、ただ不倫や逢い引きとかでは無く、どうしても子が欲しかった主君秀吉の直命だったと思われます。現代では考えられないこうした事例も、昔の観念からすればあってもおかしく無いものでしょうね?もちろん憶測ですが、、、
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これが現代に伝わる「秀頼」像。ヒド過ぎますね?こんな頼り無い(笑)あくまで徳川幕府の悪意が感じられますから、、

すっかり長くなってしまいました。。。
今年の後2日、インフルエンザとか気をつけてくださいね?
そういえばAKB48の田野ちゃんは元気になったそうですよ
では

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